2005年09月25日

恐れを崩す自力

パニック症に見舞われると多くは「予期不安」を抱えてしまいます。

もし、またあの状態に襲われたらどうしよう‥‥。

この恐怖をなかなかぬぐいきれなくなります。

ところで、恐れと怖れは読み方は同じですけど、
意味合いをどのように分けたら良いのでしょうか。
私は「恐れは対象があり、怖れは対象が漠然としている」と解釈しています。

パニック症は症状がハッキリしていますので、
感じているのは「怖れ」ではなく、「恐れ」であると私は考えています。

もちろん怖れが含まれていないと断定はできません。
発作に付随して死の不安が顔を覗かせたりしますから。

でも、元はといえば、発作に対する恐れなのです。

怖れの場合は、ちょっと難しいのです。

対象が漠としているものですから、つかむのにも時間がかかります。

その正体をつかまないことには不安は余計に膨らむでしょう。

しかし、実体をつかむその作業自体に怖れが伴うこともあります。


これまでに、部分温法その他多少の改善策をご紹介してきました。
これは、全体的にも部分的にも症状が起きやすい体の状況があるので、
それを変えていく一つの方法として紹介してきました。

したがって、それは症状と闘ってそれを抑え付けるというよりも、

それが起きにくい体を作っていくことであり、

恐れを徐々に崩していく手立てとしてご紹介してきました。

恐怖を崩していくには一気ではなく、段階を追うほうが効果があります。
崩れていく実感があるからです。


ときどき、腰痛の人が私の所へきます。

皆さん、痛みが直ぐ取れる、あるいは取りたいと思っているのです。
そうはいっても、そう簡単に行かないものもあります。

けど、腰痛もいろいろで、お腹の緊張を弛めて治るような腰痛もあります。

で、面白いのは、

痛くて動けなかったのが、『 痛いけど、動ける 』この状態に変わりますと、

ここであまり手を出すとかえって長引くことがあることです。

逆に残りの痛みが3日くらいかけて引いた場合は、
むしろ腰痛になりにくくなる傾向がハッキリあるのです。

これが逆に、症状を一気に帳消しにしようとしてうまくいかないこともあります。

ここの差は何にかと言いますと、


『 自力を少しでも使ったかどうか 』になってきます。


全部自力でなくてもいいのです。

三部なりでもよいのです。

自力と言っても何もする必要の無い自力です。


以前どこかに書いたかもしれませんが、心臓の弁に器質異常があって、
心臓の手術をされたことのある人がいます。

その人がややパニック症めいた頻脈を起こしたことがあるそうで、
そのときには、大変慌てたそうです。

確かに心臓と関係している胸椎の4番が飛び出して硬く、
その周囲に違和感のある緊張があります。

これがパニック症の人と似てはいるものの同じではありません。
この人の場合は、とにかく腕の緊張がはなはだしいので、
それを弛めるようにしたらえらくゴルフの調子が良いようで

本人はニタニタしてます。

胸椎の4番が完璧に良くなったわけではないのですけど、
それでも、最近は頻脈(心臓の急速な動悸)も少なくなってきましたし、
プチ頻脈なってもさして慌てないでいるようになりました。

最近は「今は家内の方が調子が悪いようだから、
私よりも家内の方をみてやってくれ」とまで言うようになりました。

この人も自分で足湯をしたり、
自分に合う体操を見つけ実行することによって体が変わってきたのです。


まだまだ飲み込めたとは言えませんが、


何もしない自力の感覚が少し分かりかけてきたのだと思います。
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