2005年08月18日

ピンチはチャンス!

メルマガ第3号に、パニック症に襲われた人が、

「自分が自分でない感じ」という感覚を味わうことについて書いた。

これにくっついてくる空想として「異常と正常の差」の疑問があると思う。

これについては私の独学の範囲のことだけど、

自分の心か体に何か異常が起きていると客観的に判断できる範囲では
精神の異常や精神病とは言えないと思う。

しかし、

自分が自分でないような感じとか、自分の感情が恐いとか、

特定の対人関係において体あるいは心が不安定を感じる、

体が意識に対して分裂的という出来事は現代は増えてきている。

つまり、精神異常ではないのに心身に起きていることに対して
専門知識を必要とする、

あるいは何らかの羅針盤を必要とするケースが最近は増えてきている。


心の悩みに対しても、

精神系の問題というのは、体の症状とは元々受け取られ方が違っていて
「ちょっと心が変なんです!」とはっきり言えない傾向がありました。

欧米では日本に比べて、例えば一人のビジネスマンでも友達に、

「最近自分の心のことでカウンセリングに通っているんだ」と、
これれが当たり前な会話として成り立つ傾向があるそうだ。

日本では旧来精神の異常に対して忌み嫌い、恥として感じる文化も
あるという話を聞いたことがある。


これには、自分と外界を切れ目のない自然現象の一つとしてとらえる日本の
傾向に比べて

客観的自覚性を重んじる西洋の文化との差があると思う。

細かく比較するといろいろな文化の差があり、どちらが良いとか判断をつけにくい。

日本文化の特徴としては、

悩みや病気は恥ではないのに、実際には無視したり、ガマン、無理、排除を繰り返し、

最終的に、揺り戻しが大きかったり、回りの援助をかえって必要としまう結果(突然の重い病気など)を引き起こすというパターンがあるとおもう。

これは「自己を滅して、回り全体に歩調を合わせる傾向」の濃い日本特有の良い面でもありネガティブな側面でもあると考えられる。



私の場合、最初に心身のことについて勉強させてもらった師匠が、
あまりものごとにとらわれない人で、

凄く積極的に考える人だった。


症状が体にでるか、内面にでるかは、それは生命の都合であって、
本来どっちがどうといえることではないと私は思う。



ピンチはチャンス!

この言葉はある営業ウーマンから聞いた言葉。

不具合、不調のない人生なんて生き生きとはしてこないかもしれない。

正常・異常といっても本当のところは何をどうと決め付けることはできないのではないか。

この言葉がパニック障害にももっと実感をもってくるようになってくれればと思うし、

私も人生の中で出くわす面倒なことにも、

それをチャンスと感じることができるような自分を探していきたいと思う。
posted by 由 at 00:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記・雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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