2006年04月20日

春はパニック発作とうつ症が起きやすい

お前、陽気のせいでアタマおかしくなったんじゃないの?」

春にはこんな冗談半分の会話を耳にすることがあります。

また、木の芽時と呼ばれる初夏には、五月病など言われてとても気分が滅入ってしまい、

いわゆるうつ状態に陥ってしまう人も出てきたりします。




春先から春にかけては


どちらかというと、ちょっと本人も周囲も驚いてしまうほど感情的になるなど、派手な症状に見舞われやすく、

初夏は気分が沈滞してくる傾向があるように思います。

会員の中にもそういう人がいました。

「五月病」は正式な医学用語ではありませんが、元々は大学入学後の学生が、5月連休あとくらいからうつ的気分にみまわれ、無気力な状態になる事からついた病名です。


集中力や持続力の欠如

私としては、体の面からとストレス対抗力という両方をミックスしてとらえています。

入学後の学生に起きやすいのは次のように受け止めれば納得がいきます。


5月病にかかりやすい人は、

マジメ」「几帳面」「内向的」「努力家」こういう傾向があります。

競争率の高い大学目指して頑張って努力すると言うことは、とても持続的な集中力を必要とします。

ひとえに集中力といっても、実際には体や呼吸がいろいろな面で協力して成り立つことです。

集中するには骨盤の弾力が必要です。

そしてたとえそれが遊びだとしてもあるところで集中が途切れると、ストンと身体が開いてしまいます。

あるいは緊張力自体が抜けてしまいます。

でも、合格という目標達成のためには長期間自分にタガをかけ緊張していなければなりません。

時には自らムチを打つことでしょう。


その集中が潜在的な体力、無意識の力が自然と協力するような性質のものであれば、

言い替えるなら自発性の高いものであるなら緊張のON・OFFも可能でしょうし、持続力も湧いてくるでしょう。

しかし、受験というより「競争」自体に身体の感受性があるならまだしも、そうでないタイプなら、

その緊張が途切れれば、まるでお産の後で集中力の元である骨盤が開き切って全身脱力したのと似たような現象が起きても、ある意味不思議ではありません。


2月始めには

身体がその春用の状態を作り始めます。

徐々に身体が(骨盤を軸に)開き弛んでくるのです。この時期はまだ寒く空気も乾いているので、

▼エアコンのかけすぎ

目を乾かせ、更に神経をヒートさせる(花粉症にかかりやすくなる、水分を身体に通すことが最も大事な時期なのにその体の欲求満たせないから)

▼神経をカリカリ使う

受験、入社試験などでやたら集中するのでかえって骨盤の緊張が弛まなくなる。

これらのネガティブな状態を持ち越してしまうのです。

それで春を迎えて入学して、ドテッと身体も開き、心理的な弦の緊張が抜けたままになり‥‥。


通常のお産であれば、赤ちゃんがお乳を吸う刺激との相乗効果で骨盤も徐々に閉まってきて元に戻ります。


5月病ではそういう自然の回復性が不明瞭で不全になっているのでしょう。


パニック症の場合

3月、4月には骨盤が開きながら持ち上がってくるというプロセスのために、エネルギーや緊張が上の方で閊(つか)えて過敏になり、それがとっかかりになって発作か起きる人があるのです。

症状が激しくひどい人になると「自分が変になったのではないか」「このまま死ぬのではないか」という恐怖・不安まで抱えてしまいます。


※実際にはパニック症で死ぬと言うことはまずありません。


しかし、どんなことでも完璧にネガティブということはまずありません。

症状撲滅よりも、とにかく自分の体のことなのですから、身体とちゃんとつながっていくきっかけ、チャンスと心得ることが先決でしょう。

ぢっと縮こまっていないで自分で出来ることは一つでも二つでもやりながら、身体全体がどのように変化していくかを、感覚的にちゃんとつかむことができるようになることが大切だと思います。




<補足>

完璧なネガティブはないについて

この意味は、それなりに身体を整えれば症状は改善されるという意味ともう一つあります。


●症状の中にある「自然」と「変容」

臨床の最中には特にメンタル、身体においてトラウマを変えている人の場合には少し深い作業になりますと、

時に未完了の感情や激しい身体症状が追体験の形で浮上してくることがあります。

それを期待してそうなるのではなくて、自然の流れとして表出することがあるのです。


それは比喩的な表現を用いるなら、蝉の幼虫が自ら危険を冒してでも時を選んで土から這い出て木に登り、

深夜から翌朝にかけて偉大な変容を遂げ、朝日に迎えられて飛び立つのと似ています。


これは、医学とか療術としてのドラマではなく、いのちのありきたりなありのままの出来事です。


物事を表面的な善悪、因果関係のみで眺めていると、症状は一見ただの悪しき病魔としてしか見えません。


「いや、パニック症状は一つの病気であって‥‥」

そう思う人もあるかもしれません。


そう、それはそれで病気としての生理的事実です。


でも、同時にその中で自然も必ず現在進行形です。


この私の観点が完璧だという自信はないのですけど、


表出したこと、起きている症状自体、


その中に核としての自然の変化を見つけ、それに随っていくと、


その人にとって変化すべき方向へ赴いていく。


私はそういうことに何度も出会ってきました。


そしてとりたてて表出したのではない一般の症状においてもです。


なかなかこれを説明するのは難しいのですけど、


辛い症状を、力んだ観念でポジティブに思いこむのではなく、


そこから有益な価値を見いだすと同時に症状が改善されることは実際にあるので、完璧なネガティブはないと言いたいのです。


昨日の夕方まで地中にいた虫が翌日の朝には全然違う生き物になっているのは未だに私は信じられないのです。

そして、時間と言うことも分からなくなります。


「変容」と「治る」は少々ニュアンスが異なりますけど、

その根底には「自然を保とうとする力」が必ずあると私には思えてなりません。



こんなことを書くと、


「お前、陽気のせいでアタマおかしくなったんじゃないの?」

やはりそう言われるのかもしれないと思いつつ‥‥





posted by 由 at 15:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 2.体との関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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